子供の遊び方にもルールが有った・・・
京都の町内は20軒~30軒位、単位が一つの町内として区切られている様に
記憶している。
8割の家庭には子供がおり、いつも町内には子供の声がしていた。
そして、年功序列で全員で遊んでいました。
小学校6年生から5年生、4年生・・・
1年生までが一つのチームとして遊んでいました。
ちょうど兄が6年生の頃、町内の子供達を引き連れいつも
遊んでいた頃、私は幼稚園児で家の前で遊んでいる時は、
走でもないのですが、どこかへ場所を変え遊びに行くときは、
いつも、留守番でした。
そう、小さい子供は、足手まとい・・・
悲しい思いを何度もした想い出があります・・・
そんなある日、一度だけ兄が、連れて行ってくれた事が有ります。
北野天満宮の奥に深さ2メートル位の川?用水路・・・
ほとんど水が無かった事も有って、ここに降りて向い岸まで行くと言う・・・
幼稚園児の私には、未知への冒険・・・
とてもわくわくドキドキした事を覚えています。
こんな、時代でもすごく夢が有った事を、思い出す今日この頃・・・
つづく・・・
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